2011年1月27日木曜日


動物たちの会談?













今朝も相当冷えた。
雲一つない晴れ渡った青空の下に、無数に広がるダイヤモンド・ダスト
氷点下10℃以下ぐらいにならないと見ることがないと言われている。
今年になって3回は見ただろうか?
よく目をさらすと大粒のダイヤモンドもあちこちに散らばっている。

久しぶりに沢山の動物たちの足跡も確認できた。
まるで「ナスカの地上絵」ならぬ「生きものたちの雪上絵」
うさぎ、カモシカそしてきつね、その間に野良猫?の足跡まで微妙に交差している。
新しい足跡からふと想像。昨日の夜に集まり、その後散会したらしい。

「今年の冬の餌は大丈夫か?」
「経済危機と大雪でなかなか大変だ」

そんな話はあったかどうか分からないが、
生きものたちにとって、自ら餌を確保できない時は「死」が待つ厳しい自然界。
普段は人間を警戒し息をひそめてじっとしているに違いない。
何だかけなげで、申し訳なく思ってしまったり・・・。

2011年1月25日火曜日


至福の時間をいただく
近くにある焙茶工房『しゃおしゃん』にて




山派、海派という表現があるように、
どちらかと言えば珈琲派だと思っていた。
モチロン、お茶も好きで毎日飲むけれど。
豆をミルで挽き、ポットにセットしお湯をゆっくり静かに注ぐ。
そうして立ち上がって来るあの香り・・・たまらない。
毎朝、儀式のごとく同じ作業をする。


20年前の茶の木の「種」から顔を出した「芽」




『しゃおしゃん』で頂いた二種の中国茶、
鉄瓶から急須にお湯を注ぐ→急須から一旦小さい湯のみに移す→さらに小さな湯のみに移す。
最初に頂くのは湯のみに移した後の「残り香」
香りを嗅ぐのではなく、香りを体に入れる、という感じ。
その間お茶に関する話を聞きながらお茶を飲んだ・・・。

そうか、○○派などと分ける事は不必要だったと気づく

工房の前田さんのお話は、お茶だけを取り上げるのではなく、
茶の樹が育つ環境や、自然に近い状態の中で茶葉を育てる人たちの
思いまで伝わってくるようだった。
ゆっくり時間をかけお茶を入れる所作を見ていること自体がやすらぎで、
時間を忘れそうでちょっと慌ててしまう。

至福のひととき=この上ない時間
「ていねいに入れる」お茶は人の心までくすぐるんだなぁ~と実感。

2011年1月19日水曜日


消火訓練・・ではなく、除雪作業中のY





県立美術館で開催している「ハンス・コパー」展
20世紀後半にイギリスで活躍した陶芸家だが、
写真でしか知らなかった彼の作品にようやく出会うことができた。
今回は「ルーシー・リー(Lucy Rie)の作品も同時に展示される、
ということでとても楽しみにしていた。
フラワーベースやコーヒーカップなど沢山の作品のどれもが嫌みがなく
包容力にあふれ、心が温かくなった。





陶芸に限らず、作品には、作り手の人間性が表れると思っている。
文学も絵画も、木工や鉄瓶にだって作り手の感性が映し出されると思っている。
それは料理の世界にも本質的に通ずることだと、日頃思って向き合うようにしているのだが。


ハンスとルーシーの(友達みたく言っちゃって!)作品の共通性を考えてみた。
力任せではない、つまり権威的ではなく、人の暮しに寄り添うような
静かさと暖かさと、技術に裏打ちされたていねいな仕上がりだ、と。


ていねいに仕上げる…
暮しの中の作業にも同様に言えることに気づかされる。
簡単なようで実はむずかしい。


92歳まで生きたルーシー・リー、
轆轤(ロクロ)と向き合いながら何を考えたのだろうか?
きっと何も考えず無心だったのかもしれない。

ハンス・コパー展は2/13まで。(岩手県立美術館)

2011年1月16日日曜日


小屋の横に積んだ薪



各地の大雪情報がニュースのトップとして入ってくる。
陸・空の便もタイムスケジュール通りにはならないようだ。
「雪が多く毎日寒いですね・・」
この時期は、会話にいたっても雪に関連することが冒頭から出てくる。

知り合いのK夫婦がやって来て、年末に何と24時間、
つまり丸一 日停電になり大変だった、という話を聞いた。
確かに記憶している「停電事件」
丸々2日以上も停電状態が続いた地域もあったことを思い出した。

暖房も炊事もそして携帯電話の充電からトイレのフラッシュまで、
暮しの大半を『電気』に依存している事実に愕然となったそうだ。
暗闇生活なんて誰も予想しておらず、
ガスレンジで何とか料理だけはできたけれど大変だったそう。
寒いし、暗いし、手探りで家の中を移動しながらも習慣で灯りのスイッチには手が伸びる・・。
今はやりの「オール電化」だったら、もっと大変なのでは、と。

スイッチ一つでオンになる暖房は手間がかからずとても便利だと思う。
でも、電気が供給されることが絶対条件。薪ストーブは、手間がかかる。
火を点けてもすぐには暖かくならないけれど、部屋を包み込む暖 さは他のものとは代え難い。

家の周辺あちこちに積んである薪のおかげで今年の冬も助かっているが、
薪づくりは春から秋にかけての作業の一つで欠かせないし、相当の労力がかかっている。
「スローライフ」は聞こえが良いが、時には「ハードワークライフ」もありの森の暮しだ。

2011年1月13日木曜日


自家製ベーコン




写真とは関係ないけれど、 住んでいるこの町では節目の時間に鐘が鳴る。
例えば12時、これはお昼ですよぉ~。
そして5時、帰宅の時間ですよぉ~てな具合。

今日は「オーブン感謝デー」だった。
「オープン」ではなく、Oven の方。
強力な助っ人のオーブンだからこそワタシにとって「感謝デー」なのだ。


忙しい日はついつい先送りにしがちな細かい掃除。
年末も他のことに手と頭と足を取られ、汚れを尻目に逃げていた。
さて、今日はどうしても向き合うぞ!と気合いを入れる。
しかし・・。

化学系の洗剤は使いたくないのでいつものように重曹+石けん、
時々クエン酸を補助に。
結論から言うと、感謝デーは明日も続行ということに。
(一日取組み、70%の汚れをとった。70%off ではない)

少し頑張って腕が疲れたなぁ~というところに5時の鐘が鳴った。
何というタイミング!
外に目をやるとまだ明るい、ではなく日暮れの時間が延びている!
おぼろげながらの記憶だが、一日40秒前後ほど日が長くなっているのだから
15分近く日暮れが遅くなったということか。
寒い冬だけれど、このことに関しては嬉しい。

2011年1月12日水曜日


-10℃の世界



今朝は全国的にもこの冬一番の冷え込みだったらしい。
・・とは言うものの、ここは平年並みという感じ。
降る雪を眺めているうち、雪の落ちてくるスピードがいつもより早いことに気づいた。
降っている、というのではなく「落ちている」という表現が適切だ、ということに。

冷えているのだから乾燥した雪のはず。
ならば重さもかからないのだから軽いはず。
でも落下(落雪?)スピードが早いのはなぜだろう? 
空からの寒気が勢い余っての現象なのか、
科学に疎いが、はたと考える。


幽玄の世界




科学はともあれ、樹木に降り注ぐ雪の様
天から何かが舞い降りてもおかしくない程美しく、幽玄の世界をふと思い描いてしまう。
雪降る平原に呼応するかのような今日の空の色
手の平で掴もうとしてもパラパラに散ってゆくほど軽い雪


雪男、違った 赤男と雪




足跡が
クロスし残る雪の朝
出会うことなく
カモシカが歩く

木々の前すれすれに通ったカモシカの足跡があった。
木の芽やアオキの実などを探して歩くこの時期は、時々足跡に出会うことがある。
普段はもっと山の方にいて姿を見つけることは稀。


2011年1月7日金曜日





生後丁度2ヶ月が経ち、随分チャボらしくなって来た。
一番大きいヒナはどうやら雄っぽい。とさかが主張し始めている。
朝の給餌タイムは、活発きわまりないヒナたちと母鶏の様子観察にもなっている。

木の上の巣で成長する種類の鳥の場合、ヒナは卵から孵っても動けず
親鳥から口移しで餌が与えられるのを、顔一杯の口を開け待っている映像をよく見るけれど、
ニワトリやチャボは全く違っていた。
いわゆる「家禽」はヒナのうちから親鳥と同じものをついばみ、
始めから走り回るのだから・・。

肉や卵を食用として頂くために人間が改良した種類の鳥
成長してゆく過程の中で「食と命」の関係をついつい考えてしまう。

去年の暮れ、と言ってもほんの数日前のことだが。
合鴨農法で米を作っているNさん夫妻が、友人のUさん 夫婦とやって来た。
鴨をしょって、である。ネギは無かったが。

最初の段階で、水槽の中のヒナに人間が泳ぎを教え(!)田に放つそうだ。
彼ら(彼女もいたかも)は雑草を食べて除草してくれる。
虫を食べて、田んぼの中を泳ぎ回り水を撹拌してくれ
稲が成長するための酸素を供給してくれる。
そして半年見事に肥え、役目を終える・・。

合鴨は、精一杯運動した分しっかりしていて美味しかった。
食は命なり・・・実感と共にずっしり心に響いた一日だった。






大好きなシナモン・コーヒーロール
天然酵母でやれたらいいのだが、ドライイーストを使う。
冬は温度が低く発酵にとても時間がかかる。
横着なワタシは覚え易い分量でやることが多い。
強力粉400gに温湯(牛乳)200cc.ドライイーストは5gだ。
つまり粉と温湯は2:1
それでも乾燥しているこの季節、水分はこねながらの調節が必要で、
レシピ通りにはいかない。
卵と溶かしバター少々入れ、あーだ、こーだとこねながら
上達しない自分に不器用さを感じることが多々ありだ。

2011年1月2日日曜日




風もなく、雪も一休みの穏やかな年明けとなった。
山陰や会津地方では「車中泊」での年越しになった方たちも大勢出たようで、
大変だったろうなと想像する。







久しぶりに裏の沢まで歩いたけれど、太陽がのぼりゆるくなった雪に、
足が取られて何度こけただろうか。
スノーシューは持っている。
履いて来るんだったナ、と思いながら足下に落ちている松の枝を沢山拾った。





畑の後ろに流れる沢はゆっくり蛇行しながら続いている。
「この蛇行が理想的だね」と、川に詳しい人が以前話していたことを思い出す。
水の流れが急だと縁の土をえぐリだし、その空間に生息している小さな生き物まで流してしまう。
そうした意味でウチの裏は「クネクネ沢」だからいいのかも。
去年は鷺が何度か舞い降り魚を取っていたけれど、今年はどうかな?

木の枝に積もった雪が時々水面に落ちて無数の輪を作る。
一瞬で消えるけれど、やっぱりきれいだ。自然の芸術。

新しい年になり、過ぎたこの1年を思い起こしてみる。
予測がつかない毎年だけど、「選択の連続」が人生の常なのかもしれない。
さて、2011年、何事も「三日坊主」にならないように
少しは建設的に歩いてゆくことを考えよう、か。
無理だなぁ~~。