2011年10月23日日曜日


TEA PARTY...




ある国の市民活動の話ではなく、「お茶会」をした。
お話のゲストは雫石に住んで3年(4年?)「シャオ・シャン」の前田さん。
中国茶に魅せられて台湾まで飛んで修行?を積んで来た方。
お茶にまつわる歴史や飲み方、茶葉の扱い方など話していただいた。


岩手の陸前高田市は、3.11の地震と大津波で町が壊滅状態になり、
国内でもよく知られるようになったが、「北限のお茶」であることは
意外に知られていない。(正確には、お茶を作っている所)

その高田市の茶畑の写真を見せていただいた。
大木とまでいかないが、背が高く、はしごをかけて「茶葉を摘む」らしい。
静岡あたりの茶摘みのシーンとは違っていた。
その「気仙茶」は、烏龍茶とほうじ茶の中間の香り、と言うのだろうか。
香ばしく、「団子やお漬け物と合いそうだ」と、一瞬の想像。





分からぬまま用意した今日のお茶うけは、
「よもぎまんじゅう」「真珠団子」そして「杏仁豆腐」
後半に頂いた雲南省プーアール茶に合っていたかな?


北の地方でも300年も前から茶の木があり、
売るためというより「飲む」ために茶葉を煎っていた...
江戸の時代から連綿と続けられていた...など、またまた一瞬想像する。
よく言う「豊かな時代」とは今の時代から見ての勝手な解釈で、
常に身の周りの中での発想が、暮しに自然に取り入れられてた...という気がする。


などなど、「お茶の時間」は「歴史の時間・比較文化論」にまで発展し、
濃い お茶会で盛り上がった。
前田さん、ごくろーさまでした。(見てないと思うけど)

2011年10月17日月曜日


Own Life


〈彼岸花〉

10月も半ばを過ぎ、紅葉が少しずつ動き出した。
周辺の景色や、稲刈りが終わり清々とした田んぼに時間の流れを感じる。


光陰矢のごとし、とはよく言ったものだ。
時の流れの早さを表現した人々も、案外今と同様だったのかもしれない。
光の速度を超えるものがあるのかどうか知らないけれど、
スピードも「ほどほど」がいいと最近は思えるようになってきた。


パソコンが出始めた当時、知り合いから旧モデルのPCを頂いたことがある。
電源を入れ3分以上も待って、やっと起動、という最初のモデルだった。
待っているのが「もどかしい!」とも思ったが、思い出すと懐かしい。
それから何台モデルチェンジしただろうか....。
(そのAppleは、物置に眠っているが)









「食って生きて死ぬだけでない。好きか嫌いではない。
損得でも善悪でもない。 
波うち揺れうごく現実の中で、右に左によろめくばかりではない。
有限で不完全であることを知ればこそ、高きをのぞみ、
暗闇にうずくまったり、たちどまったり、身を切られるように痛んだり、
前に進めず、後ろに退けずとも、両手両足を投げ出して睨むことはできる。」              

     ( 2003.April「風の旅人」創刊号より)



「風の旅人」が休刊になることを知った。
事情は何時もいろいろあるけれど、残念。
社会はいつの時も変化し、ヒトもまた同じように変わっていく「生きもの」だ。
ヒトの「生き方」が変わってゆくことにより社会が変化していく...と言う方が妥当?
有限で不完全な生きものだからこそ「歩き方」を見つめ直す時があるのだろう。

Own Life.....揺れながら揺さぶられながら........。

2011年10月3日月曜日


昨年より25日早い初冠雪 !



(これは4、5日前の姿 春子谷地)


涼しいのを通り越し、一気に寒さがやって来た。
ウールの服でないとちょっとキツい感じ。
もう10月に入ってるのだから当たり前と言えば当たり前だが...。
紅葉も進むかもしれない。


先日の脇道冒険で見つけたあのヤギや、ポニーたちはどうしているだろうか。
続きの話になるけれど、力強いあの案山子たちの横に、実は看板があった。





実際に「三角小屋」なる茅葺屋根の小屋が隣にひっそりと佇んでいたが、
この地を開墾し、種を蒔き、牛や馬等の動物たちを飼い生計を立ててきたのだろうか。
どれだけの苦労があっただろうか。
と、安易に動物がいたら和むなぁ...などと思い描いたことが急にハズカシくなる・・・。


ヤギ・ポニー達に比較すると人間はやっかいな生きものだ。
夏服から秋へ、また1枚重ね着を迫られる。
更に冬に向かい、外套が必要となってくるのだから。。。。

暖房をまだ入れてない我が家。
そろそろストーブの炎が見たくなった。

2011年10月1日土曜日


ココロの旅




いつも通る道の脇道がなぜか気になって冒険ココロからトライアル。
この先には一体何が......と思いながら通る機会もなかったその脇道。
くねくねと蛇行し、少し進んだところに「それ」はあった。







「こんな所で誰かが作業?」と思った瞬間、
それは大きな案山子であったことに気づく。
広い牧場の中に10数頭のヤギと4頭のポニーが放牧され、
のどかな風景が目の前に広がる。
ヤギたちは一斉にこちらに顔を向け、様子をうかがいながら近寄ってくる。
ポニーたちも一斉にこちらを目掛け、ワルツのリズムで駆け寄って来た。


挨拶するように首を振り、
人懐っこいポニーはワタシのストールの端を引っ張るしぐさをする(餌?)。
離れようとしない彼等と、離れられなくなるような思いがこみ上げ、
しばらくそこにいた。


猫、ウサギ、犬、ヤギそして鳥。
知人から頂いたり、預かったまま飼うことになったりで、
これまでイロイロな動物と接触をしてきたけれど、
彼らたちは媚びる訳でもなく「あるがまま」ワタシたちと向き合ってくれる。
犬語やヤギ語があったなら.....と願うこともあるけれど、
叶わぬままの辛い別れもいくつかあった。
それと引き換えに、悲しみや苦しみも吸い取ってもらうような「なぐさめ」も受容した。
そんな思い出が甦り、「また来るよ」とその場を離れることに.....。

わずか車で15分足らずの場所。
岩手山が眼前に迫り、冬は相当寒いはずだ(この周辺も同様だけど)。
家からちょっと走っただけで「旅」をしている気分になる。

「人生は旅のようなもの」と言ったのは確かアンデルセン。
いつも通る道ではなく、脇道に進んでみようと思ったことから思わぬ発見/出会いに、
意識を変えれば遠方の地でなくとも、ココロの旅にいけるのかもしれないと
ふと思うのだった。